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V o l :2002/014
Date:2002/11/7

◇ NASCAR WINSTON CUP/第32戦 マーチンズビル◇

 菅生のスーパー耐久第7戦を終えて、火曜日には再び機上の人となった。
 ナスカ・ーウィンストンカップの第32戦となる、バージニア州はマーチンズビルへ向かう為である。本来、レースは来週末なのであるが、ここマーチンズビルスピードウェイで予定されていた我々の事前テストが、サーキットの急な改修工事が入ったことにより中止となってしまったために、改めてスケジュールを組み立てて、1週間早めの出発となった訳である。到着後、間もなく翌日にはマーチンズビルへと向かった、チーム本拠地であるノースカロライナ州のステイツビルという町から、クルマで2時間強の道のりをマーチンズビルへと向かう。途中、のどかな田園風景や牧場、そしておびただしいタバコ畑を横目に見ながらの移動となったわけだが、途中「ウィンストンセーラム」と言う町を通過する。 なんでも、キャメルやウィンストンと言った有名なタバコの会社「RJレイノルズ社」の本社がある町だとか…。ああ、そうか、この辺はもともとタバコ産業の盛んな地域なんだなあ…、と言うことに気が付いた。そういえば、今でこそタバコの広告は規制され、ナスカーの冠スポンサーである「ウィンストン」しか見かけなくなったが、(1つのカテゴリーに1社のみ認められている)ナスカーの歴史の中にはタバコの広告とは切っても切れない関係がある。僕が知っているだけでも「スコールバンディッド」や「キャメル」などがあるが、特にキャメルについては`96年の鈴鹿戦で乗せていただいたチームが「キャメル・スモーキンジョー・レーシング」であり、その運営チームが今年お世話になっている「トラビス・カーター・レーシング」であるのも不思議な縁だ。余談であるが、その`96年の参戦の時に随分お世話になったRJレイノルズの広報の方とも再会した、ウィンストンセーラムの近く「グリーンズボロ」と言うところに住んでいるらしく、久々の再会をとても喜んでくれた。また、その鈴鹿での`96年にチームのサブオーナー的な存在で来ていた方のお宅でパーティーを開いて頂き、距離にして1万キロを超えた再会に大いに感動することになった。なにせ、その時にサインさせて頂いたチームウェアが大切に飾られていたり、一緒に写した写真が引き伸ばされて額に飾られていたりと、彼らの中でとても大切な思い出として残されていることが、僕にはとても嬉しい事だったのである。

 さて、テストはと言えば、マシンにも随分慣れてきた僕と、1周0.5マイルのロースピードからくる安心感からか、ドーバーやロッキンガムに比べて、比較的余裕を感じさせるテストとなった。コーナーも普段日本で走っているロードコースでのヘアピンを大きくさせたようなものだし、コーナーバンクも大きな角度ではないために、比較的なじみやすいレイアウトとなっているからだろう。ドライバーは随分慣れを見せ、果敢にコーナーを攻めウィンストンカップカーを派手にパワースライドさせる走りを展開するが、タイム的には相変わらず今一つといった所である。路面の改修が原因でグリップダウンを招き「過去のデーターより0.5秒は遅くなっているのではないか…」と言う観点もあるようだが、今ひとつ納得の行かないマシンハンドリングに不満を抱きながらも、同時にテストした他のチームのウィンストンカップ・レギュラードライバー達からも0.2秒しか遅れていないこともあり、まずまずの結果と言うことでレーストラックを後にした。

 本拠地の「シャーロット」に戻り、今週末はローズモータースピードウェイ(旧称シャーロットモータースピードウェイ)でのレースを観戦する予定となっている。このレースは本来、僕のスケジュール的には参戦可能なレースなのであるが、ライセンス発給の時にNASCARから課せられた「ルーキーは1マイルから…」という規定に触れるため出場を断念したレースである。1.5マイルの距離(ツインリンクもてぎと同じ)を持つこのスーパースピードウェイでの予選は、僕の常識を大きく上回るスピードと迫力で展開された。過去にデイトナやアトランタなどのスーパースピードウェイでのレースも観戦していたが、ここ、「ロウズ」でのそれは、また一味違った「超ド迫力」のスピード感を感じさせるものであった。何でもウィンストンカップ開催のコース中の、NO.2の最高速を誇るレーストラックらしい、本来、デイトナやタラデガといった2.5マイル以上もあるトラックの方が、当然のように最高速は高いはずなのであるが、現在のそれらはあまりにも高い最高速を抑える為に「リストリクター・プレート」というエンジン出力を低下させる器具を使っている。そのため、1.5マイルという距離ながら、24度というハイバンクを持つこのレーストラックがNO.2の最高速(198マイル!)を誇っているらしい…。僕はもうNO.1を聞く勇気も失いそうであった、最高速だけならル・マンのストレートだって過去には340Km/h(212マイル)を経験したことはあるが、そのままコーナーにアクセルを踏んだまま入っていくその様は「クレイジー」という言葉がぴったりである。 ライセンスに規制を設けてくれたNASCARに感謝したい気持ちすら湧いてくる、このトラックでレースに参戦する為にはもう少し経験を積む必要があることは間違いない。ちなみに、`96年の鈴鹿参戦のためのライセンス取得を目的に、ここ「ロウズ」を走った経験があり、サーキットが所有するスクールカーではあったが、恐怖に立ち向かい、勇気を振り絞って記録したタイムが35〜7秒台であったと記憶している。それに対してどうだ、今日の予選で彼らウィンストンカップドライバー達が記録したタイムは、なんと29秒台!である、とても信じられないがこの現実に挑戦するには、今ひとつの経験、そしてそれ以上の何かを必要とすることは間違いない。来年以降、ここのトラックでも「リストリクター・プレート」を使ってくれると嬉しいのだが…。

 翌週、いよいよマーチンズビルのレースウィークとなった。先週のテストを踏まえ、改善されたはずのマシンで予選に挑むが、走り出せば、相変わらずマシンのハンドリングには問題を抱えたままで、コーナーの中間点で発生するアンダーステアーに悩まされ続けることになった。タイム的にもビリから2番手しか記録できず、後ろに4台従えることのできたデビュー戦「ドーバー」よりポジションは悪い結果となった。ただ幸運にも今回もプロビジョナルというオーナーポイント優先システムに助けられ最後尾ではあるが43番手通過を果たすことになった。  明けてレースは、そもそもペース的に他車より幾分遅い為に、今回は慎重に走り完走を目指すことにした。ドーバーのレースで以外に体力を消耗することに気付いて、今回は走り切ることによって体力づくりやペース配分を学ぶ事をテーマにして走ることにした。何せテストでは予選通過のためのアタックを優先せざるを得ず、連続走行は決勝でしか経験できない有様が続いているのである。来年を見据えた上でも、貴重な経験やデーターを集積しなければならない状況なので、大切に行くことにした。
 レースは慎重に他車との接触を避け、経験を積むことのみを優先させて順調に進んで行った。今やウィンストンカップ・ドライバーの中で「一番、抜かせるのが上手いドライバー」になっているだろう。ほとんどの選手が手を出して合図して行く、まあ、この信頼関係も重要な要素なのである…、と思っていた残り100周となった400周目ごろ、僕のブレーキに重大なトラブルが発生し、後ろ向きにウォールに激突してリタイアすることになった。後もう少しのところだったのでとても残念だったが、決勝を走ることでしか得られない貴重な体験をまた積むことができたのは大きい。今はこれを積み重ねていくしかないし、次回以降に是非活かしたいと思っている。


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