

V o l :2001/011
Date:2001/7/23
◇スーパー耐久/第5戦 十勝24時間レース
今年も十勝24時間レースの季節がやってきた。このレースはスーパー耐久を戦う者にとって、シリーズタイトルの行方を分ける最も重要なレースと言えるだろう。いつもは400Km〜500Km程のレース距離を戦っているわけだが、ここ十勝は、その24時間というレースの長さから、上位入賞者に与えられるポイントも通常の1.5倍のポイントが与えられる事になっており、現在クラス2のトップである“プーマ・ランサー”に7ポイントダウンの2番手でこのレースを迎えることになった我々は、ここで一気に追いついて、のちの後半戦を優位に戦うべく十勝へと渡った。あまりいいことばかりを考えているとロクでもないことが起きると言うが、そういった“甘さ”もなくチームは過去に、ここ十勝3連勝の実績を元にして自信に満ちていた。まあ、多くの人間が関わってやっていることなので、完璧はなかなか望めないとしても、しっかりと完走して高得点を獲得して帰らなければならない、このことは最低限の必須である。
ここ十勝の24時間は、そのレースの特性もあってドライバーたちはあまりカリカリせず、年に一度のお祭りを楽しんでいるようなところがある。最近はどのレースでも、いつの間にかエントリーの中で年長者の部類に入ってきてしまったが、(星野さんお願いです、長く走ってね…)このレースを楽しみながら走るシニアさん達も大勢エントリーしており、なかなかいい雰囲気である、こういったオジさん達もどんどん参加できるといいですねえ。加えて北海道はご存知のように味の産地であり、何を食べてもおいしい所で(弁当ですら…)、こちらも重要な楽しみの一つである。今年も現地参加のドライバーさんの歓迎を受け、十勝牛の振る舞いを受けた。もっとも僕にはなぜかホタテの方が印象に残ったが…。(歳か?)
予選は、木曜夜から金曜午前にかけて降った雨に翻弄されて(路面のラバーがなくなってしまった)平凡なタイムに終わった、クラスでは2番手だが、下位である“クラス3”の2台の先行を許し総合では9番手である。あ〜あカッコ悪う〜!
とは言え24時間レースの予選ポジションほど意味のないものはなく、まったく気にする必要はない、それよりも路面コンディションの変化にクルマを合わせる必要の方が大である。ちょっとした事がタイヤの磨耗に大きく影響したり、そのハンドリングの悪さからブレーキを消耗させることもある。そして何よりドライバーに自然なハンドリングレスポンスであることが、体力の消耗に大きな影響を与えることは言うまでもないことである。
今回我々は、いつものレギュラー・ドライバーの3人(小川・福山・伊藤)に加えて、時々もう一台のRSオガワ・30号車をドライブする松井選手を加えた4人フォーメイションである。このことはドライバーの体力的には随分助かることで、今日、世界中で行われる24時間レースでも、ここ十勝はそのコースレイアウトから意外にドライバー・ストレスは大きいサーキットといえる。単純に比較してドライバーに疲労を与えるようなコーナーの数は、ル・マンの13.6Kmにおける17箇所に対して、十勝はといえば、およそ5Kmのコースで13箇所を数えるに至り、レースラップタイムの上昇に伴うドライバーの疲労はなかなか大きいコースなのである。そんな訳で、翌日のフリー走行でハンドリングの改善を全員で確認した我々は、結構行けるんじゃないの〜という感触と好天の中でスタートを切った。序盤からマシンのハンドリングは完璧で、まったくの好調である。スタートしてすぐにクラストップに立ち、ペースの上がらない上位クラスも蹴散らして、総合でも4番手を走る、これほど好調なハンドリングも珍しいくらいである。好燃費を活かして55ラップのスティントを終え、日が沈む前の明るいうちに乗ってもらうべく松井選手にチェンジする。ところがこのチェンジから2周目の第一コーナーの先で、突然マシンはクラッシュしてしまった、ドライバーは自分のミスしか口にせず、事の真意は本人にしか分からないが、マシンダメージは相当ひどく、修復は即座に断念されたほどであった。幸いドライバーには大した怪我もなく事なきを得たが、我々のレースはその90%を残して終了することになった。僕にも経験はあるが、こういった時のドライバーはとてつもない自己嫌悪に陥り、即座にヘルメットを池に投げ込んで自分をモーターレーシングの世界から消し去りたい心境になっているに違いない。ただ、こういったところから這い上がって来たもの達の中から、さらに一部の人間が経験と努力を積み重ね、プロと呼ばれるような選手に育っていくのも事実である。
さて先日、衛星放送のガオラというチャンネルで『ナスカー』の解説をやりました、デイトナでの『ペプシ400』というレースでしたが、ナスカー史上に残る感動的なレースでした。開幕戦の『デイトナ500』で自チームのマイケル・ウォルトリップと、息子アーンハートJr.の初優勝への“露払い”の最中のラストラップで、他車との接触から命を落とした『デイル・アーンハート』でしたが、その『ビッグ・ダディ』ぶりは全米の感動を呼び、お葬式までがCNNトップニュースだったことは記憶に新しいところです。その後ナスカーは16戦を消化し、デイトナに戻ってきました。レースは序盤からアーンハートJr.が好調でしたが、終盤のコーションから6番手に下がってしまい、優勝は絶望視されましたが、残り6周のリ・スタートからみるみる順位を上げ、劇的な優勝を遂げてしまいました。しかも開幕戦で優勝したマイケルが、こちらもいつの間にか順位を上げ、最終ラップには見事“露払い”を演じて見せ、デイトナの逆ワン・ツーを達成したのです。
何というドラマチックな幕切れなのか、この世に不可能を可能にする“神”の存在を感じた、ナスカー史上いや、レース史上に残る名場面だったと思います。デイル・アーンハートは鈴鹿ともてぎのナスカー参戦で知り合い、「アメリカに来いよ」と言って名刺を差し出してくれ、息子Jr.はもてぎでピットまで会いに来てくれた関係です。この歴史的な2戦に僕が生中継の解説者として立ち会えたことは、あなたの“お力”としか考えられません。アーンハート大兄…、いま僕はようやく気の合うドライバー数名で「ナスカー研究会」を立ち上げ、研修の目的で今秋あなたの大地へと参るつもりです、日本にもう一度ナスカーの火を灯すための伝道活動に、是非ともあなたからのご加護と幸運を…。
皆さんもガオラにお願いしてはいかがですか…再放送、このデイトナの2戦はビデオに取って永久保存もんです、絶対に…。
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