

V o l :2000/005
Date:2000/6/27
◇ル・マン24時間レース◇
6月9日、3度目のル・マン出場の経験を買われて、フランスへと旅立った。今回はル・マン後、マレーシアへ渡り、全日本GT選手権のオールスター戦も出場のため、約18日間の長旅である。出発前はレースのことより着替えや持っていく荷物の事で大変、ル・マンの夜は寒いだろうし、マレーシアは熱いようだし、そうそう下着だってそりゃあ…である。ドライバーは走る度に汗でパンツはビショビショで、消費はかなり多いのです。すぐに乾きそうな素材のものをたくさん選んで持っていったのだが、何だかセクシーなものばかりになってしまった、あんまり人には見せられない状態である。
そんなこんなで、用意して頂いた“ビジネス・シート”で快適にル・マンへ(始めて行ったときはエコノミーで北回り18時間だったっけ)今回はすでにお伝えした通り、松田選手の負傷の代役である余郷選手と一緒である。余郷選手は海外レースも初めてと言うことで、すでにテストデーで走ったベルギー人ドライバーと供にル・マン初出場である。おのずと経験者の僕がリーダー的な立場となり、連日一緒にコースを歩いて様々なアドバイスをする。(自分でもビックリするくらいコースの落とし穴は覚えていた。)
和やかな雰囲気の車検も順調に終わり、温かいファンの歓迎も受けた。僕の前回出場時の写真を手に、サインをせがまれること数回、熱狂的なル・マンのファンなのか、千年の月日を数える寺院前の広場における車検は、歴史の深さを改めて感じさせる一瞬だ。その後は明日からの予選に備え、おいしいワインでディナーとなり就寝となった。
初日の予選はとても順調に進んだ。問題のブレーキパットも改善され、真夜中の走行でもまずまずの速さをキープすることができた。唯一気温のせいか、または突然義務づけられたサイレンサーのせいか、テストデーのタイムを更新できない。それについては他のチームも同様なのであまり気にしないことにするが、チームの外人ドライバーのパフォーマンスがやたらに目立つ。ブレーキロックでタイヤはパンクさせるし、スピンも2回ほどやるしでハラハラさせてくれる。外人はいつもそうだが愛国心もチームに対する愛着心もないので、自らのパフォーマンスに走ることが多い。我々のチームを使って自国のトップチームに発信しようとしているのだ“俺はこんなに速いぞ”ってね。あーあこんなことで24時間クルマはもつのかなあ。
そんな心配をしている予選2日目、なんと一番信頼されていた僕がクルマを横転させることになってしまった。ストレートエンドの“ミュルサンヌ・コーナー”で突然クルマがバランスを乱し、強くブレーキが架けられない状況になって、とても止まりきれる状態じゃなくなってしまった。このまま真っ直ぐに行ってしまうとバリヤに激突してしまいそうなので、少々無理を承知で斜めにサンドトラップに入って行ったが、残念ながら最後にクルマは横転してしまった。この状況下で被害は最小限にとどめることに成功したが、とくに攻めてもいないときだったので、こうなったことにショックでならない。『神は、また僕に試練か警鐘を鳴らしたのだろうか』とにかくチームにあってはならないことをやってしまった訳だが、正直、僕のミスとは認めたくない心境である。とはいえマシンのブレーキに異常がなく、コースにオイルもないとすればドライバーのミスとしか言いようがない。あーあ、もっと攻めていれば良かった、ああいったケースでクルマを押さえ込むには『気迫』しかないのである。ミスがあるとしたら大事に行き過ぎていたのかもしれない。いい訳はともかくチームを大変な状況に陥れてしまった、それでなくとも海外だし24時間レースなので費用と時間の最大限を必要とする、とくにメカニック達が、もう一晩寝られない事が決定してしまったのは大いに心が痛んだ。
信じられないことに、多くの協力やメカニックたちのスーパープレイで、マシンは一夜の後に完璧な姿でよみがえっていた。もう2度とミスは許されないという状況の中で、スタートドライバーを任され、久々に緊張のスタートを切った。やがて監督の作戦通りダブルスティントをこなし約2時間強の走行を終え、次はあと2人のドライバーが走り終えた午後11時ごろからの走行である。クルマは至って順調に走り、夜中のスティントが始まった。全車ハイビームセットだからミラーがやたら眩しい、この路面温度下においてもタイヤは抜群の性能を示し、予選を上回りそうなハンドリングであるが、そこは自重して周回を重ねる。順調にスティントをこなし、次は夜明けのスティントを担当するので少しは睡眠をとることにする。(若い頃はなかなか眠れなかったが最近は…)第3スティントは6時ごろから夜明けと共に始まった。この時間帯は夕暮れのそれと同じく太陽の逆光で全くコースが見えない。日が昇るまでの30分間はコースの一部が全く見えない状況が続き、非常に危険な状況である(想像を絶する)。そんなことも乗り越え、チームは2位をコンスタントに堅持、トップは遠いが後ろにも2ラップリードである。
やがてレースは終盤へ、監督のはからいで順序を入れ替え、僕がチェッカードライバーに…更に経験を積ませる粋なはからいだ、チームの財産になるべくドバイバーチェンジしたが、ここでドライブシャフトのブーツにトラブルが見つかり交換作業に入った。この間の15分間で2位に2ラップ遅れの3位に転落。あと2時間の所でのこの状況は絶望的で、3位キープと思いきや、強気の監督の指示で“追撃ペースアップ”の作戦。疲れ切った体にムチ打つことに(もちろんミスは許されない)。そんな執念が通じたのか、敵のピットストップにミスが発生、ボンネットが開いてしまい再ピットすることになった。これで2台は同ラップになり、ついにはラスト2ラップでキャッチして追い越すことができた。ところが敵も捨て身の戦法でラストラップに入る最終コーナーで、僕に後ろから体当たりしてきた(なんてヤツだ!)2台はボロボロになって最終ラップへ突入した。
途中、敵はそれが元でついに走れなくなり、僕はといえば左リヤのタイヤを全て失いながらの3輪走行で感激のゴールとなった。いろいろ有り過ぎた今年のル・マンであったが“素晴らしくスゴイ”ドラマがあった、それらは全て命がけの人達による、執念のノンフィクションであったと言えるだろう。いい経験といい場面に立ち合わせてもらった、一度は恨んだ『神』に感謝したい。最後に24時間、毎ラップ無線でドライバーを励まし続けた『千葉オーナー』の『福チャンがんばれー』が忘れられない。
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